せんだい雑記

楽天イーグルス・日記・備忘録

日本の救世主(震災10日め)

(3月20日)

午前中に近くの理髪店で散髪。髪の毛が伸びたくらいでは、特に不自由なこともないのだが、とにかくサッパリしたかった。行きつけの理髪店も通常営業とまではまだいかないようだ。ガスが止まっているので、シャンプーは水でも良いという希望者のみ。料金は通常より割り引いた緊急料金になっている。僕はカットだけにした。お店にはたくさんの客が順番を待っていた。電気や水やガスが止まっても、髪の毛の成長は止まらないのだ(いや、大半はシャンプーが目的だったのかもしれない)。

妻がときどき利用しているマッサージ店でシャワー室を貸してくれるというので昼から出かけた。もちろんお湯のシャワー。電気温水器を使っているのである。久々に全身にお湯をかけて身体を洗い、頭を洗った。大袈裟ではなく、マジに生き返りました!、感謝!!。

お湯といえば、やはりお風呂。テレビや新聞の生活関連情報では、入浴可能施設や被災地住人限定低料金温泉旅館などが紹介される。ところが、どこも徒歩や自転車で行ける場所にないというところが悲しい。大型スーパーの開店情報も、そのほとんどが郊外型であったりするから、やはり車が必要である。つまり、ガソリンの供給がままならない今の状況では、どの情報もほとんど意味がない、少なくとも僕の場合は…。物資が流通しても、それが集まる場所までの移動手段に困る状況、なかなかうまくいかないものだ。そういえば、夜にGスタンドに並んでいた男性が車内で死亡するというニュースがあった。エンジンを止めて車内で灯油ストーブをつけていたらしい、一酸化炭素中毒である。これも二次災害というべきか、切ない。

クリーニング店も閉店したまま、先週着たYシャツを洗って干してアイロンかけて。細かいところで不自由さを感じる。というか、これまでの贅沢すぎるくらいの便利さを思う。

福島原発の放水活動に当たられた東京消防庁の方たちの記者会見の様子をテレビで見ていた。彼らの使命感と家族への思いに感激して涙が止まらなかった。

以下は、その関連記事。

東日本大震災 被曝覚悟の350メートル 消防隊見送る妻「日本の救世主」(産経新聞) - goo ニュース

『見えない「敵」との戦いだった。福島第1原発事故で19日未明の放水活動を行った東京消防庁ハイパーレスキューの第1陣が19日夜に帰京。同庁で会見した。廃虚と化した原発内で被曝(ひばく)しながら、ホースを手作業で広げる決死の作業。隊長らは「無事にミッションは達成した」と胸を張る一方、「隊員の家族には心配をかけた」と涙で言葉を詰まらせた。

 ハイパーレスキューの冨岡豊彦総括隊長(47)が、福島第1原発に最初に足を踏み入れたのは18日午後5時ごろ。特殊災害対策車でどのように安全にミッションをこなせるかを探るのが目的だった。

 当初の東京電力側からの情報では、水をくみ上げる海側までは車で近づけるはずだったが、原発内はがれきで埋まり、進入はすぐに阻まれた。

 「ホースを手で広げるしかない」。午後7時半から始まった作戦会議。がれきを避け、海から放水車までホースを延ばすには被曝の危険が増す車外で作業を行うしかないという結論に達するまで4時間かかった。

 海水を1分間に約3トン送り出すホースは太くて重い。ホースの重さは50メートルで約100キロ。それをロープで引っ張り4人がかりで運ぶ。敷設は約350メートルで、足場は悪く、危険な作業だった。作戦の決行は高山幸夫総括隊長(54)ら約40人の隊員に委ねられた。

 「危険度を熟知する隊員の恐怖心は計り知れないが、拒否する者はいなかった」(東京消防庁の佐藤康雄警防部長)。だが、防護服の着用に普段の3倍以上の時間がかかるなど、緊張の色を隠せなかった。

 約20人が車外に出ての作業。車外作業者には、放射線量を測る隊員から危険度を知らせる声がかかった。「常にそばでバックアップしてくれる仲間がいたからこそ達成できた」と高山隊長。作業は約15分で完了し、屈折放水塔車は白煙を上げる3号機に向け、19日午前0時半、放水を開始。20分で約60トンを放水した。

 家族には心配をかけたという思いがある。冨岡隊長は任務に出る前、「必ず帰ってくるから安心しろ」と妻にメールを送った。妻からは「信じて待ってます」と短い返信があった。佐藤部長は妻に福島行きを伝えると、「日本の救世主になってください」と一言書かれたメールが送られてきたという。

 会見で、冨岡隊長は「国民の期待をある程度達成できた。充実感がある」と語る一方、作戦に従事した隊員について「家族には本当に申し訳ない。おわびを申し上げたい」と涙ぐんだ。

 高山隊長は「家に帰ったら家族と酒を飲みながら反省会をしたい」と笑い、佐藤部長は「恐怖心を克服し任務に当たってくれたことに敬服の念を抱いている」と隊員らをねぎらった。』