せんだい雑記

楽天イーグルス、日記、備忘録

父親という性分

この頃、自分が苦手とするタイプの上司に自分自身が似てきているのではないか、そんなことを考える(少しだけ反省を込めて。)。ぼくが部下にあることを感じてそれを態度に表すときに、ふッと「アッ、あのときの●●課長に似ていないか…。」「あのときの課長はぼくに対してこんな風に感じていたのかもしれない…。」、そんなことを思ったりするようになった。「あのときの課長」というのが、まさにぼくにとっての「苦手な課長」「煙たい課長」だったのである。



この「苦手(煙たい)」意識はどこからくるのか。



ある意味似てきたことでそれが何かがなんとなく分かってきたような気がする。これは「父性」からくるものなのだ。子供からみた父親と母親という二人の親(ある意味上司)。この二人の親(上司)のうち、子供(部下)からみたら母親よりもやはり父親の方が苦手なのである。あれと同じ。



これは父親と母親というものに対するぼくの勝手な思い込みかもしれないが、父親は子供に対して「何かを求めて」成長させ、母親は子供に対して「何かを与えて」成長さす。父親は子供に理想を求め、母親は子供に対して理想を与える。そんなイメージ。父親は子供を試すことがあるが、母親は子供を試すようなことはしない。あくまでぼくが持っている父性と母性というもののイメージ。そしてこの父親像がまさに「苦手な課長」のタイプなのである。たぶん。



つまり、部下が上司に対して感じる「苦手意識」はまさに子供が父親に感じる苦手意識と同質のものではないか、そう思うのである。だからといって、男の上司が皆、部下に煙たがられているかというとそうではない。男の上司でも父性的ではなく、どちらかというと母性的であるという場合が多いものだ。その逆もある。つまり女の上司であっても父性的なかた。これは女性っぽいとか男性っぽいとかという次元とも少し違う。



それで、父性的、母性的のこの場合の決定的な違いは、出来の悪い子供(部下)を「批評」するかどうかということにある。父性的な性分は、出来の悪い子供(部下)に対して「お前は●●なところがある。」「お前の●●なところは悪い、直せ。」と云わずにはいられない。いわゆる「人間性の決めつけ」である。いわば父親(上司)が持っている理想像とのギャップの指摘である。



それに比べて母性的な場合は、それをあまり問題にしない。大きく受け止める(「しょうがない、だれだってそういうところはあるわよね」という感じか)。子供にとって、部下にとって、この違いは大きい。



ぼくが昔お世話になった上司の中で、いまなおご相談したり、お酒のお誘いをしたりするのは、決まって母性的(上司)であった方である。もちろん皆お偉さん、お忙しい立場におられる方ばかりなのだが、不思議な気安さ、安心感があるのだ。子供にとっての母親ってそういうところがあるでしょ。。



話は戻る。ぼくが父性的タイプであるのは間違いない。。それはそれとして、決して父性的であることが悪いといっているわけではない。子供にとって母親だけでいいということにはならないのと同じである。ただ、父性的であっても、できるだけ人を「批評」するのはやめようと反省しているのである。仕事を批評することはしょうがないにしてもだ(父性的な性分は仕事自体の批評がいつの間にか人間性のそれに変わってしまうことがあるような気がする。)。



ああぁ、なんだか変なことを長々と書いてしまった。ある意味、これも父親というものに対する決めつけかもしれないけれど。